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記憶

 天城の深い山麓の向こうから吹いてくる風は刺すように冷たく、そんな中僕は火葬場から立ちのぼる祖母の煙を見上げていた。12月の昼さがりの空は薄い水色をしていて雲のないとても澄んだ色をしていた。その日の空はとくに鮮やかで、気温さえ高ければ初夏と勘違いしてしまいそうな空だった。やがてぶわあっと音を立てて拭いた冬の風にあおられた山の枯れ葉が山の中腹に位置する火葬場に舞い落ちてくる。日の光を浴び、反射させながらキラリキラリと舞い落ちてきた。くすんだ枯葉の色ではない、金色の輝きをたずさえ、キラリキラリと舞い落ちてきた。祖母の煙からしばし目線をずらし、その舞うきれいな枯葉をしばらく僕は見つめ続けた。

 母から祖母の死を知らせるメールが届いたのは朝の7時過ぎだった。その日はいまにも雨が降り始めそうなくらいのどんよりとした曇り空で、カーテン越しに入ってくる外の光もほとんどなく、薄暗い冷たい朝だった。
 昨晩のうちにそろそろだという連絡を受けていたので驚きというものはなく、ただ残念な思いだけが少しの虚脱感とともに僕の頭の中を駆け巡った。メールを確認してすぐ、僕は母に電話をした。電話越しの母は泣きながらメールと同じ内容の、祖母の死を告げた。僕は起きあがり窓の端に寄りかかりながら灰色の朝の空を眺めつつ母の話を聞いていた。やがて母の泣き声を聞いているとうちに僕もたまらない気持ちになり、電話を終えた後、自室に戻って机の前で一時泣いた。もう会えないと思うとさびしさが募り、今週末の土曜日に会いに行こうとしていた自分のタイミングの遅さにやりきれなさが募った。
 亡くなる10日前に僕は祖母を訪ねていた。来週にはいったん家に戻る許可を先生にもらっていると祖母が語っていたことと、昔から食べることが好きな祖母に病院食の量が少なくないか尋ねると足りないといいながらお菓子をつまんでいる姿をみて、僕は少し安心していた。11月の下旬に片方の肺が止まって酸素吸入が必要になり入院し、そろそろ最期の時が近づいているということを聞いていたので、相当の覚悟を持って祖母に会いに行ったのだが、それなりに会話ができて、そして食事も取れている姿を見て変に安心してしまった。そのせいで僕は、次の週は仕事をキャンセルして祖母に会いに行くことをしなかった。それが今では後悔となってすこし僕にのしかかっている。
 葬儀の日程などは夜遅くの死だったのでまだ決まっていないということで、とりあえず僕は普通に仕事についた、というかしなければならない仕事はいくつもあって急にそれらを投げ出すことなんてできない。しばらく仕事に集中していると、昼過ぎに母からメールが入り、明日の通夜と明後日の告別式に決まったことを告げられた。急いで仕事の関係先に必要な連絡をし、明日の金曜日に静岡に向かうための準備を始める。時間は淡々と過ぎていくし、準備も淡々と進めていった。祖母のことをふと思いつつも感傷的になっている時間などはあまりなかった。
 翌朝、僕はいつものように電車で伊豆に向かった。平日のラッシュ過ぎの時間帯で車内もすいている。よく晴れた日で差し込む日差しが少し痛かった。祖母が生きていた頃と同じように小田原まで小田急線で、東海道線で三島、伊豆急で修善寺へと電車を乗り継ぐ。変わったのは会いに行く相手がこの世界にはもういないということだけだ。それ以外は何も変わらない。
修善寺についた僕は昨晩のうちに母、妹と先に来ていた父が迎えにきた車に乗り込み、祖母の家に向かった。山間の風景は相変わらずで、そこにはゆったりとした空気が流れているだけだった。祖母の家へと伸びる下り坂を歩く。昔から変わらない風景を眺めながら。
 家に着くと縁側沿いの奥の部屋に親戚が集まっているのでそこに向かった。そしてその部屋には祖母が静かに目を閉じていた。ちょうど着物を着せている最中だった。亡くなった祖母と対面した僕は身支度の手伝いをしつつ、やはりどうしようもないくらい悲しくて外に出た。冷たい手に触れた僕は、その硬く冷たい質感に生きていないということを実感させられ、こみ上げてくる涙を抑えきれずしばらく庭先で一人しゃがみこんでいた。
 田舎なので葬儀を近所の人々が手伝うという慣わしがあり、徐々に「隣組」といわれる人々と親戚が集まり始めた。もう十数年も会っていないような親戚ばかりだが、お互い変わったね、年をとったね、というような会話があちこちで小さく漏れ聞こえる。
 夕刻が迫る頃、冷たい風が縁側の窓から吹いてくる。やがて棺に入れられた祖母を僕らは持ち上げ、霊柩車へと運ぶ。坂の上に待つ霊柩車。祖母はこの坂をもう上ることもない。悲しみは薄暗い空に共鳴するかのように静かに静に、増していく。
 霊柩車のあとを追うように僕らはそれぞれの車に乗り込み、通夜の会場へ向かった。その道のり、母や叔母が静かに祖母の思い出話を語る。周りに言うのではなく、自分に語りかけるように、つぶやくように。伊豆山中の細い道は、かつて祖母が幾度も通った道だ。車を運転する祖母の姿がふと目に浮かんできた。祖母の生活がうっすらと僕の脳裏をかすめ寂しさを一層募らせるばかりだった。
 ほどなく着いた葬儀場の近くは割と開けていて、スーパーや家電量販店などが立ち並ぶ。新しいもの好きだった祖母に連れられていったディスカウントストアやマクドナルド、コンビニ。車窓から眺めながら僕は祖母を思った。思い続けた。そして祖母は僕にとって大切な人であったということだけただはっきりと理解できて、それが余計に悲しみをさそうものだった。
 


 目を瞑る。僕と、そして祖母がいる。そこにある2つの記憶。この2つの記憶の断片は僕に何を語ろうとしているのだろうか。僕の中の祖母の記憶というか、祖母との出来事を思い出そうとした僕の頭には、バーベキューをしたことや、山に登ったこと、遊園地に行ったことなどがぼんやりと浮かぶ。それらは本当にぼんやりとしている。やがて強烈に強いなにかを感じる祖母の2つの記憶が思い出される。
 ひとつは、僕が幼稚園か小学低学年の頃だ。僕は縁側横のふすまの開いた畳の部屋で転寝をしている。差し込む日差しの暖かい昼下がりだろうか。そしてその僕の手と足をゆっくりともんでくれている祖母が隣にいる。僕はただ、気持ちよく転寝をしているだけだ。その時の日差しの心地よさと祖母の揉む圧力を僕は深く記憶している。
 もうひとつ。同じく小さい頃のこと。伊豆の祖父母の家に行くのがたまらなく好きだった僕は伊豆に着いてからも興奮はさめず、よく朝方の4時か5時頃に目が覚めていた。目が覚めてあたりを見渡しても、父も母ももちろん眠っている。あたりはまだ薄暗いままだ。僕は置きあがり、家の奥にある祖父母の寝室へ向かう。そして少し重たい引き戸をあけると、僕に気づいた祖母が手招きをし、近づいた僕を抱き上げベッドの祖母の隣にねかせる。そして僕の体をポンポンと叩きながら寝かしつける。その時の朝の少し湿った重たい空気と寝室に響くコチ、コチ、という時計の秒針の音が、今でも強烈に記憶に残っている。
 なぜなんだろう。こんな日常のさして特別なことでもないことを一番強く記憶しているのは。

 通夜が終わってやがて少しずつ皆それぞれ家へと帰っていく。そんな中僕は祖父母の家が親戚で溢れてしまうこともあり、祖母の妹であるおばの家族と近くのホテルに泊まった。高台に位置するホテルからは祖母と登った城山と、美しい富士山が見えた。
 翌日の告別式では泣くまいと決めていた。泣いてもなにも変わらないのだ、と。それでもやはりこみ上げてくる悲しみというのは抑えることができず、必死にこらえながら涙をながしていた。母や、叔母、叔父、従兄弟、それぞれがそれぞれの思いを口にしながら祖母との最後の別れをしている。僕はその時、祖母に関する2つの記憶について再び考えていた。何故僕はあの記憶がこんなにも心の奥深くでこびりついてはなれないのか。あまりにもありふれていて、特別な光景ではないあの二つの記憶を、何故。

 告別式の会場から葬儀場まではマイクロバスで20分くらいと少し距離のあるところだった。国道沿いにある葬儀場を出発したマイクロバスは城山を右手に、富士山を背にして進んでいく。狩野川沿いに進むバス。この狩野川沿いにも祖母といった温泉などがあり、みな静に思い出話をしていた。車中のどこからか声がした。
「葬儀場まで時間がかかるのも案外いいのかもな、色々と思い出話ができら...」
やがて天城の山中に入りかかったくらいのところにある小さな古い葬儀場に着いた。
「ああ、ここは曾祖母を火葬したところかな。」
ふと思い、近くにいる年配の親戚に確認すると静かにうなずいた。やがて当時の記憶が少しずつよみがえってくる。それでも記憶違いの部分は多分に含まれていて、こんな休憩所だったかなとか、ここに壁があったように思うんだけどなど、現実はすこしずつ僕のなかで綻びている。唯一正しく記憶していたのは親戚の年上の男の子にいたずらをされた記憶だけだった。あの時僕にいたずらを仕掛けたその男子高校生、(というよりはもうおじさんなのだが)に確認するとちょっと驚きながら
「俺も覚えているよ。」
と答えた。このあまり意味のない記憶だけが、しっかりと僕の脳裏に刻まれ、形を変えることなく残っていた。いたずらに使われたビールのつまみさえ一致したとき、僕は自分の記憶という脳に対して心の中であきれ、笑いを浮かべた。

 告別式からしばらく経った。時折まだ祖母のことを思いだす。思い出してもとくになにがどうとなるわけでもないのだけれど。それでもやはり、時折思い出す。祖母と僕はごく普通の祖母と孫だった。田舎の祖母と東京の孫。ただそれだけの、非常にありふれた関係。そしてまた、当たり前のようにお互いが愛しい存在だった。

 そんなことをぼんやりと考えていた時、あの2つの記憶が何故僕にとって深く刻まれたものなのか、僕はようやく気づいた。あの記憶は祖母のやさしさの記憶なのだ。記憶という心象風景の中で僕は祖母のやさしさに触れながら、それをいつも大事にしてきたのだ。それこそが普遍的なことで、ただただ祖母のやさしさを、愛を大切にしてきたのだ。そしていつも愛しい祖母を僕は思い出すべく、あの記憶をしまい込んだ。祖母のやさしさという記憶を。そして僕はこれからも時折思い出すのだろう。祖母のやさしさという記憶を。それがこの世界にとってなんの影響もないことであっても、その瞬間に僕の心拍数だけがかすかにあがり、ひとつ深呼吸をさせる。

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