
僕がモニターとにらめっこをしている頃、遠くヨーロッパの大学生はクラブで知り合った女を口説きおととすのに必死になっている。
僕がギターを弾きながら鼻歌交じりに曲を作っている時、遠くアフリカの砂漠で、逃れられない感染症にかかった子供が永遠の眠りにつく。
僕がWiiでスティックを振り回してボクシングをしている時、遠く中東では10歳の少年が銃を振りかざして町を駆け抜ける。
という、よくある話。
そして、こんな詩が。
カムチャツカの若者がきりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますとどこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
※谷川俊太郎『朝のリレー』
生活という 運命という 僕という
この世界に生れ落ちたすべてのものへ
僕らはこの生命を失うまで
いつまでも
どんなときも
その生活という
その運命という
その僕という
すべてのことを受け入れなければならない
その物理的な絶望も
その文学的な不幸も
すべてのことを僕らは受け入れなければならない